◆ このページのポイント ◆
1.恵下埋立地の地元の町内会の人たちは、意見や同意・不同意の表明、
協議の椅子に座るチャンスすら与えられなかった。
2.そもそもこの埋立地計画の「地元」って?
3.国の基準を超えた30年の埋立期間も協議なく決められた。
4.「環境影響評価の途中なのに合意」などなど協議・合意の過程が不透明で疑問だらけ。
広島市は平成22年12月4日、湯来町水内(みのち)地区町内会連合会の会長あてに
「恵下(えげ)埋立地(仮称)の建設について(お願い)」という文書を出し、恵下埋立地の建設了解を求めました。
この時、広島市は、地元住民に対しては全くアクションを起こすことなく、住民を対象とした説明会は行いませんでした。
その結果、水内地区町内会連合会の会長名で、平成23年2月21日、建設を了解する旨の回答が行われ、
約1か月後の3月31日には、広島市(代表者 広島市長)との間で「建設合意書」が取り交わされていました。(チラシNo.21)
ほとんどの住民はこれらの事実を知らず、テレビ報道を見て驚いた人も大勢いたそうです。
他の地区の人から「どうしてそんなに安易に合意したのか」、
「子どもや孫の代のことまで考えたのか」と問いただされることがあっても、
そもそも知らされることのないまま決まり、事後報告だった、と水内地区の方々は言います。
さらに湯来町から埋立地を挟んで山の反対側、安佐南区沼田町戸山地区においては
●埋立地本体工事着工後の工事車両
●完成後のゴミ搬入出車両
●覆土運搬車両
●それらによる排気ガス・騒音
●散々漏れる可能性があると指摘されている浸出水ポンプ圧送(戸山の一般道の地下に埋められる)
これら全ての負担を強いられる計画となっているにもかかわらず、
戸山の住民がこの計画を知ったのは水内地区が合意書を交わした後の事後報告でした。
戸山の町内会とは合意が結ばれていないどころか、話すらきていない状態だったそうです。
もちろん戸山の人たちが知ったときには、ほとんどの計画が進められた後でした。
浸出水の送水ルート上に位置する他の地域…安佐北区安佐町久地やくすのき台へも、何の説明も情報もなかったとのことです。
ところで、この計画における「地元」というのは、どこでしょう?
広島市の考える「地元」は左の図の通り、建設予定地のあるピンクで示された湯来町水内地区です。(チラシNo.35)
上に挙げたように、
埋立地ができることで生まれる負担ほとんどすべてを強いられる計画の戸山は「地元」ではなく、送水ルート(赤い矢印)にある安佐北区安佐町久地もおなじく、「地元」として扱われていません。
なお、上の図では「戸山地区も地元の位置づけとなりました」(水色部)とありますが、
書類・口頭ともにこの文言は明示されておらず、「整備を進めるうえで、戸山地区は重要な位置を占めています」、
「整備事業を展開するうえで、避けて通れない地区となっています」 との表現にとどまっているとのこと。
それよりも何よりも、太田川の上流にできるということは、この工事・計画の影響を受ける下流に住む私たちも「地元」民のはずです。
ご覧になると一目瞭然ですが、地元認定されている「湯来町水内地区」(緑部分)はとにかく広い!中区・南区・東区・西区はまるごと入ってしまうほどの面積です。
「地元」とされていながらも水内地区の多くの地域は実生活に関係がなく、あまり実感・関心がない人が多いという矛盾も抱えています。
なぜ実生活に関わりのある人達でなく、こうした分け方で「地元」とするのでしょう。。
それでは、埋立地がつくられる地元の水内の住民も、埋立地に伴うほとんどすべての負担を強いられる戸山の住民も知らないうちに一部の人たちの間で取り交わされていた「合意」とは、いったいどんなものなのでしょうか。
右の図が、水内地区町内会連合会と広島市で結ばれ、恵下埋立地について市が“地元の皆様との協議を経た”との根拠としている建設合意書です。(チラシNo.3)
住民を対象とした環境アセスメント調査の前には「今回は調査をさせてほしいというお願いだけです。建設の同意は別途伺います」ということで始まったものの、環境影響評価作業の最中に突然、水内地区町内会連合会の会長が合意書を取り交わしていた、ということです。
地元住民の、「同意についてはいつ私たちに話をし、私たちに承認のハンコを求めるのか?」との問いかけに対し、「今はまだ環境影響評価中ですから」と言葉を濁しておいて、です。(チラシNo.20・No.40)
これらは全て住民に知らされずに短期間の間に行われたので、
広島市がどうして急いで合意を求めようとしたのか、町内会連合会会長はどうして地元住民に知らせることをせず急いで合意の判をおしたのか…いまだに住民たちは納得できていない状況だそうです。
それどころか、広島市は「判をおしてあるから、もう知らない」とばかりの姿勢でいるようです。(チラシNo.38)
なお、建設合意書の中で埋立期間30年とされていますが、埋立期間の国の基準は15年です。
もともと水内地区での住民説明会では「埋立期間は皆さんとの協議によって」とされていましたが(平成18(2006)年2月)、
協議が行われないまま、右の建設合意書が締結されました。
この点について、市に質問を送った“考える会”に対して、
市は「町内会連合会を通じての皆様との協議を経て、
平成23年3月に締結の建設合意書において『供用期間は30年』とさせていただきました」と回答しています。
実態は、住民は蚊帳の外、了承を求められることもなく、協議に参加するチャンスもなく、
ここまででもずいぶん問題の多い「合意」と考えざるを得ませんが、その他にも。。
●そもそも地方自治法に規定され地区内の住民で組織される「地縁団体」は“町内会”であり、
水内地区においては町内会長が各個人でメンバーとなっている町内会連合会は「任意団体」。
町内会連合会の「合意」では、住民の意見が反映されない点で相応しくない点(チラシNo.3)
●他都市のごみ埋立地では町内会(複数の場合はそれぞれの町内会)と締結しており、
連合会のみと締結という例はない点(チラシNo.3)
●玖谷埋立地では会長・副会長からなる3人連名の署名だったのに、
恵下埋立地では会長1人のみの署名で合意している点
(合意書“案”の時点のフォームは会長・副会長3人の署名欄があったのに、合意書では会長1人のフォームに書き換えられていた)(チラシNo.20)
●建設合意書の合意内容が、広島市の提示した“案”のまま、議論も修正もされることなく合意書に至っている点(チラシNo.21)
(他の事業では、地元の要望によって公害防止協定が盛り込まれるなど、自治体の出した条件の丸呑みになることはありえない。
また、安全対策は二の次で、広島湯来線さえ整備されるなら無条件で合意します、ととれる書面)
●環境影響評価の途中で合意がなされ、その後5ヶ月後に環境影響評価書が公告された点。(順番が違う)(チラシNo.21)
などなど、協議過程に疑問を感じる点が多々あります。
11月19日の戸山での説明会に参加した際、感情的な意見も飛び交い、
戸山の人たちがとてつもなく怒っているのを見た時は
どうしてこんなに怒っているのか全く理解できなかったのですが
これだけの経緯を知ると、今までどれだけ苦悩されてこられたか、(おそらくわずかにでしょうが)共有できた気がします。
契約の成立要件は、その事実があることであって、
仮に契約書(合意書もひとつの契約書)が存在しても、
その事実
(例えば「地元が合意している」というには、地元住民が合意の意思表示をしたという事実)
がなければ無効、だそうです。
もちろん、住民が合意の意思表示をしたことも、合意の事実もありません。(チラシNo.21)
恵下埋立地は、深く掘り下げてみると、「契約不成立」の状態と言える…。
最初の出だしの住民理解を得るステップなどが無視されてきたこの事業は、
このまま決定事項として進めていっていいものなのでしょうか????
市は、合意があった、今まで何度も説明をしてきた、と言ってはいますが
意見を聞く気も計画を変える気もない「説明会」とは名ばかりで、
勝手な決定を一方的に聞かせるだけの「報告会」にすぎないと思います。
“説明した”というアリバイづくり、既成事実づくりのためなのでしょうか。
(事実、11月19日の戸山での説明会でも、住民の意見や疑問に対して「市としてはこの計画で決定している」と答え、
安全と安心を求める住民の方々の不安を取り除きうる説明・回答はありませんでした。)
恵下埋立地事業に関係する用地取得はすでに始まっていますが、埋立地本体は現在77%ほどで滞っており、
湯来が埋立地を誘致するのと引き換えに工事をすることになった広島湯来線
(工事車両やごみ運搬車を通すのに拡幅が必要だったので広島湯来線の整備が見返り事業になることは市も渡りに舟だったはず)は、
埋立地関連の安全性・これまでの計画や説明の進め方において市に不信感を抱いている戸山側の
用地取得が進んでいないようです。(広島湯来線の工事はトンネル以外の場所は進んでいるとのこと)
玖谷埋立地の平成31年度末での埋立終了が近づく中、恵下埋立地をどうしても平成32年度から供用開始したい広島市は
埋立地本体の平成28年4月に着工するために
公共事業のためだから・必要な事業なのだからと、強制収用もちらつかせているそうです。
納得できないから土地は売らない、としている地主の方々はこれらの長年のやりとりにすっかり疲弊しています。